【明治大学建築学科 樋山恭助教授】ウェルネスを実現するために、建築環境が果たす役割とは

明治大学建築学科 樋山恭助教授
明治大学建築学科 樋山恭助教授

建築は、オブジェではなく目的を持って作られるものです。そして、人が住むためにつくられた建築物が住宅です。

樋山教授は、より良い住宅とは、単に広さや間取りの使い勝手だけでなく、そこにある見えない対象、例えば空気や熱、音などが機能的にデザインされた建築物であると語ります。

住む人の知的生産性を高める住宅とはどのような建築物なのか、また、住宅のウェルネスを実現するためには何を大切にすればいいのか。建築環境の視点から教えていただきました。

建築物をより完璧に近づける建築環境工学の魅力

――樋山教授のご研究分野について教えてください。

樋山 恭助氏(以下、樋山教授) 建築というと、建築家が取り扱うような建築意匠や計画(建物やその間取りなどのデザイン)の分野を思い浮かべる方が多いと思います。けれども建築にはさまざまな分野があり、例えば、建築物が地震などに対してしっかりと強度を保つための研究をする構造分野もその一つ。そして私が身を置いているのは建築環境という分野です。

では、建築環境がどのような分野かというと、意匠が目に見えるものを美しくデザインするとするならば、空気や熱、音などの目に見えない対象をデザインすることを目的としているのが建築環境分野です。そしてこの目に見えない対象をうまく扱って建築物をより良いものにできるのが、この分野の興味深い点だと感じています。

この分野の先達となる渡辺要先生の言葉に、

「計画原論(建築環境工学の原型)の適用によってこの空間の科学的合理性に関する領域の一部を探求し、その解決をはかることによって建築物の保健・衛生・能率・快適性はいよいよ向上され、建築物はますます完璧化されるのである。」

渡辺要 編『建築計画原論Ⅰ』(丸善株式会社)1962年刊行, 序

という一節があります。渡辺先生は明治大学の建築学科を作られた方でもあるのですが、これを読んだ時、この言葉こそが建築環境の分野の魅力を端的に表していて、まさしく自分がやりたいことだと感じました。

『建築計画原論Ⅰ』の標題紙と冒頭の序文
『建築計画原論Ⅰ』の標題紙
『建築計画原論Ⅰ』の標題紙と冒頭の序文
『建築計画原論Ⅰ』の冒頭の序文

――建築学科や建築環境分野を選ばれたきっかけはありますか。

樋山教授 大学受験で建築学科を志望したのは、漠然と建築はおもしろそうだと感じた単純な動機からでした。そこで建築環境を選ぶきっかけになったのは、大学3年を終えた後にデンマークで1年間生活した経験です。特に長い夜を過ごす冬における室内での生活が、私が建築環境分野に身を置くことになる大きな転機になったと思っています。

樋山教授撮影 デンマークのクリスマス
樋山教授撮影 デンマークのクリスマス

良く知られるデンマーク語に「ヒュゲ」という言葉があります。説明をするのはなかなか難しいのですが、「心地よい時間を過ごしている状態」を表現するような時に使う言葉だそうです。その状態を作るのに、建築物と、そこに作られる室内の環境が大きな意味をもっています。デンマークでこの「ヒュゲ」を経験したこと、また自分が建築を学べる環境にいて、建築家になるのではなく室内環境を快適にするための仕事をしたいと思ったこと、そしてその後にお会いしてきた多くの方から刺激をいただき、導いてもらったことが、今につながっていると思います。

住宅内部の環境を整えてウェルネスを実現

――住宅においてのより良い建築環境とは、具体的にはどのようなことでしょうか。

樋山教授 最近では建築の環境を考えるのに「ウェルネス」や「ウェルビーイング」という言葉が使われるようになってきました。この言葉には、心身ともに健康で、より良く生きるといった意味が含まれています。かつては、知的生産性を上げていくには“部屋の中を快適にしなければならない”という考え方でした。暑かったりしたらやる気をなくしてしまいますよね。けれども、快適だけでいいのかと問われると、その前提にやはり心身が健康でなければならないし、建物の中では安心を感じられなければならない。そういったものを全て実現した上で、知的生産性の向上といった付加価値を得られる状態を、最近はウェルネスを実現するという言葉で表しているようです。

つまり、日々の生活が守られていることが前提で、その上で快適な空間で個々が自分らしくあることができ、やりたいことに対して高いパフォーマンスを発揮することができるという状態です。住宅の場合は、生活の中での「やりたいこと」が何を求めているかによって、それぞれ違ってきますね。自宅で仕事する人もいるし、勉強する人もいるし、個々の「やりたいこと」に対し120%の成果が出せるような状態ということになると思います。

私が参加するプロジェクトのひとつに、オフィスのウェルネスを評価するシステムがあります。右の三角形がウェルネスの実現を示す概念図です。レジリエンスでは、地震や水害といった天災に耐性があるか、他にも新型コロナウイルスなどの感染症のリスクに対しても安心が確保できていることなどを評価します。その上で社会的な課題として、省エネルギーや省CO2などが実現されていること、それから、人が健康かつ快適に過ごせる環境を求めています。それらが実現した上で、知的生産性を上げ高いパフォーマンスを発揮する、イノベーティブな発想ができる。そういったことを支えられる建築物またはオフィス空間を、ウェルネスオフィスと定義し、その評価を行う認証システムです。この階層構造は、住宅におけるウェルネスの実現に対しても当てはまると思うので、ぜひ参考にしていただけたらと思います。

ウェルネスを実現するポイントは、快適さと不連続な体験

――住宅のウェルネスを実現するためのポイントなどがあれば、教えていただけますか。

樋山教授 ウェルネスを実現するためには、快適な環境の持続性だけでなく、不連続な刺激や体験が求められるように考えています。同じ状態が持続すると、例えばいくら快適な環境下でもずっと仕事をしていたら、疲労がたまります。その疲労の回復、つまりリフレッシュには、環境の変化が効果的です。また、その仕事も一括りにはできず、集中的な作業が必要なものや、一つのひらめきを必要とする創造性が求められるものがあり、後者であれば偶発的なコミュニケーションや体験がその助けになります。

安定した空間と必要に応じた不連続な体験を提供するには、建築空間の計画やその環境の設計が果たせる役割が多く、注目していくポイントだと考えています。

――なるほど、不連続な刺激や体験はたしかに必要ですね。例えば子ども部屋を新たに作る場合、不連続な刺激というのは具体的にはどのようなものがあるのでしょうか。

樋山教授 子ども部屋で何をするかにもよりますが、仮に勉強に集中できる環境を整えるとすれば、ずっと勉強に集中していると疲れてしまうので少しリラックスをするために、窓がその役割を果たします。窓がどこにあり、そこから何が見えるかということですね。木々があって鳥が飛んでくるとか、陽が差したり外の移り変わりが見えたりするなどの、安定的ではない何かしらの変化が大切だと思います。

また、リフレッシュしたいと感じた時に、感じるだけでなくそれが実行できるかどうかは、どのような空間計画がなされているかにかかわってくると思っています。そもそもリフレッシュするための空間が提供されているのか、 その空間は生活の一部として自然に機能するように配置されているのか、より良い提案をすることが建築家の役目だと考えています。

本来必要とされる要素をきちんと取り入れた設計を

――コロナ禍では、個々にも感染対策が求められました。これから住まいを設計する際に押さえておくべきことはありますでしょうか。

樋山教授 コロナ禍での経験は、私たちの住宅のあり方を見直すきっかけとなったと考えています。例えば、外から帰ってきたときに家にウィルスを持ち込みたくない、すぐに手を洗いたい、マスクの収納場所を確保したいなど、屋外と屋内の干渉空間となる玄関の重要性を再認識したのではないでしょうか。

このほか、換気の大切さについても認識が深まるきっかけになりました。加えてその経路、空気の流れや効率の良い換気へ意識が向くようにもなったと思います。換気は、外と屋内で空気を入れ替える行為なので、外の空気を取り入れた分だけ冷暖房のエネルギー消費に繋がります。このため、より少ない換気量で十分に室内の空気をきれいに保つ換気計画はとても重要です。

今後は、こうした重要ではあるが二の次とされがちだった設計要素を改めて意識し、これからの住宅の設計に反映されるようになることを期待しています。SDGs-スマートウェルネス住宅研究企画委員会からコロナ禍に提供された感染対策チェックリスト(住宅版)では、平常時、感染拡大時、家族の感染疑いの場合と、段階を分けて意識すべき項目がまとめてあるので参考にしてみてください。

――最近では、換気や省エネを意識させる技術や商品を見かけることも増えたように思います。樋山教授もこうした新しい技術に関わっていらっしゃるのでしょうか。

樋山教授 私が開発に関わるものでは、窓に換気経路を組込むことで、窓から逃げる熱を利用して換気空気を予熱するシステムがあります。

外気を二重窓の内部に取り込み、空気の流れをつくることで、快適な換気と超高断熱を実現するDI窓(ダイナミックインシュレーション窓)
引用:三協アルミ DI窓

先にお話ししたように換気は新鮮な外気を取り入れるので、外気が快適でない場合は室内の快適性を乱す原因となります。特に冬場は冷たい空気が足元付近に広がってしまい、顕著な不快感をうみます。このため、十分な換気設備があっても、居住者の生活にフィットしなければその利用を止めてしまうとか、その性能が十分に発揮されない例も多く見られます。このような実態に陥らないよう、全熱交換器やここで紹介する新しい技術なども検討していただければいいなと思います。

これからの住まいに必要な不連続な体験を得るために

――最後に、今後の時代の変化を工務店はどのように受け止め、活かしていけば良いのか、先生のお考えをお聞かせいただけますでしょうか。

樋山教授 これからの住まいには、安定的な快適を持続的に実現するのみでなく、不連続な体験を生活に与えることのできる空間造りが求められると考えています。快適を安定的に保つだけであれば、日本のどこであれ、断熱気密の住宅を構えエアコンを稼働させれば良く、その汎用的な普及モデルを大量生産していくには、大手の住宅メーカーに強みがあると思います。一方で、その先に求められる不連続な体験を仕込むには、周辺環境や地域との繋がりがその仕掛けとして有効になると思います。このことに関しては、地域に根付き、その繋がりを大切にされている工務店の中に多くの経験と知恵が蓄積されているように考えており、ぜひその強みを活かした住宅供給を展開いただくことを期待しています。

明治大学建築学科教授 樋山恭助氏

早稲田大学卒業。東京大学大学院修士課程修了。博士(工学)。一級建築士、LEED AP O+M、CASBEEウェルネスオフィス評価員。日建設計、東京大学生産技術研究所、山口大学を経て、2016年に本学着任。2022年から現職。受賞に日本建築学会賞(論文)、空気調和・衛生工学会学会賞(論文・技術)、カーボンニュートラル大賞、日本風工学会出版賞ほか。

明治大学HP:https://www.meiji.ac.jp/sst/grad/teacher/03/01/6t5h7p00000kqppy.html
researchmap:https://researchmap.jp/hiyamak

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